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全国の田舎大好き女子です。 普段は、田舎暮らしアドバイザーとかしていたりしていなかったり。
滋賀県湖北地域のほとけさま
やってきました滋賀県湖北!(1週間前になりますが…)
私の好きな地域に共通していること
「自分たちは、そのままのカタチで、次の世代に受け継いでいく。それが、今を生きる自分たちの責務・使命・なすべきことなんです」
ニュアンスは違っていても、そこで生きて来た人も、そこに移り住んだ人も、携わる人も、「今あるカタチを、次の世代に繋ぐ」それを本当に意識されている。

さて、その好きな地域の一つが滋賀県湖北地域。

この地域は、色々ご縁があるところ。
移住支援を本格的に始めたばかりの頃の相談者の希望地だったり、
新卒のときの同期の地元だったり、
うちの上司もよくこの地域の寺巡りをしていたり、
移住支援を通して出会う方々が素敵で、時々足を運んでみる。

昨年度の田舎暮らしフェスタで「山岳仏教の里・鶏足寺と里山めぐり」に参加した時に、この地域の寺院に興味を持った。

というのも、京都の寺院のように煌びやかだったりする訳ではない。
人々の生活の一部にほとけさまがいるというか、ほとけさまの近くで人々が生活をしている。
そして、美しい洗練された仏像等だけではなく、目を引くのは焼けたホトケ、朽ちたホトケ、腕などがなくなっているホトケだった。そうしたほとけさまを、地域の人が自分の村のほとけさまとして大切にされてきた。
そして、案内をしてくださった地域の方が、自分たちがほとけさまを「守っている」のではなく、「守らせていただいているのだ」と仰ったことが印象的だった。
この地域は天台宗系山岳仏教の聖地だった。天台密教の祖の最澄もここで修行し、多くの修行僧がここにはいた。けれど、戦国時代に多くの寺々は戦火に巻き込まれ、僧侶たちは山を去った。けれど、そこに残された寺院とほとけさまは、村人たちの手に渡って、守り仏として共にあった。
週末、改めて回らせて頂いたときも、みなさんが「ほとけさまを守らせていただけて大変ありがたいことです」と、『守らせていただいている』とほとんどの方が表現なさっていた。

ここは、羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳がある。戦渦に巻き込まれながらも、ほとけさまを焼き払われないよう、村人たちは川底に沈めたり、土に埋めたり、中には自分の原を割いて小さなほとけさまをかくまったというエピソードもある。本当にそうしたかは分からない。

1日目は長浜市街地の寺院をメインに自転車で回った。
夕方、マチナカの黒塀のある路地を散策していると、なんか素敵な本屋さんを見つけて思わず入る。そこで出会った本がまた素敵で思わず購入して、あっという間に読み終えてしまった。
「湖北のホトケたち 人々の祈りと暮らし」
これは仏像紹介の本ではない。そのほとけさまに関わる人々が主役の本だった。

そして、次の日レンタカーを借りて山村や駅から距離のある寺院に行こうと思っていたところには最初入っていなかったのですが、この本を呼んで急遽赤後寺に伺うことにした。赤後寺の千手観音さまは、48本あるはずの腕が12本あられません。12本しかない腕も手首から先があられません。川に沈めた時に流出してしまったのかもしれない。本当に、息を飲むお労しいお姿だった。けれども、戦争の戦渦の中にあった村人たちを守るために、その身を犠牲にされてきた。そう、慈しむように村の総代のお一人の方が説明してくださった。姿形は変われども、その存在を守ろうと皆必死だった。そして、そのほとけさまは今も受け継がれている。
高月町渡岸寺の向源寺にいらっしゃる国宝の十一面観音像さまも、土中に隠されて難を逃れ、千年近くの時を超えても、こうして守り繋がれている。説明して木田去ったのも、村のみなさん。みんな、交代で守られている。何百年もずっとそうしてきた。国宝とされるとき、ほとけさまは「ムラのみんなの」ものだった。けれども、個人のものを国宝にはできないと、向源寺の預かる所となった。けれども、やっぱりムラのみなさんで御守りされている。
冷水寺は、焼けただれられてしまったほとけさまがいらっしゃる。どんな姿になっても、何百年もムラを守って来てくださったほとけさまを、ムラの人もまた御守りし続けるだけなんだ。そう、胸が熱くなった。

防犯センサーが壊れた日、修理会社はすぐに来れないと言った。たかが1日、されど1日。ほとけさまに何かあってはならない、そう当時の氏子総代の村人は毛布と寝袋を持ち込んで、冷える本堂でほとけさまと共に過ごした。
村のほとけさまが盗まれた時、皆で積み立てていた300万円を情報提供の懸賞金に当て、何とか探し出した村もある。

煌びやかな寺院より、私はこうした人々の生活に根ざした寺院が好きだ。
その歴史はさることながら、そこでほとけさまと生きる皆さんとの対話を通じて、その有り難さ、温かさ、厳かさを感じる。

何と言うか、ひとつひとつのエピソードがぐっとくる。
そして我が身を反省する。
何かについて祈る時、自分のことばかり、欲ばかりになっていないか。
「ありがとう」と感謝する気持ちを忘れていないか。
そして、携わる移住交流、復興支援について考える。
単なる人の誘致合戦は、ムラの人が、マチの人が望んで来たカタチですか?
外部人材の活用もいいけど、まずは地域がどうあるべきか話し合いをしていくことがまず最初。
その発信をし続けていかなくてはなあ。
やり方ももうちょい考えます。

出会ったほとけさまだけでなく、
当番制で対応してくださった村の皆様方に、とても感謝し、
今日を、明日を生きていきたいと思います。

朝、ありがとうございます。
夜、今日も無事に過ごせました、ありがとうございます。
そう手を合わせていきたいです。
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Posted by ほしくみこ
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[日本をぐるり
琵琶湖の夜明け
琵琶湖が好きだった。
今回も湖北を回る間に、琵琶湖に向かった。
山育ちの私には海よりも湖とか川の方が馴染みがあった。
悲しい時、辛い時、踏ん張りたい時、決意する時、足を運んでしまう。
昔はよく夜行列車で到着するなり、朝から琵琶湖畔を歩ける所は歩いた。

この日も朝早く出て、日の出があがるのを、ただ静かに待った。

真っ暗な空に、淡い朱色が混じり、それが広がる。
湖もふわりふわりとそれが広がっていく。
やっぱり泣きそうになる。

色々決心して、立ち上がる。
まだまだ壁はたくさん。
でも、やるだけ。

前日の夜大津駅で滋賀県庁の青田さんとばったり会いました。
本当に驚きましたが、ご縁かな〜と感謝です!
Posted by ほしくみこ
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[日本をぐるり
ひぐらし農園 浅見さんの本 移住して有機農業に取り組む方
Aさんと会議後、農文協の本屋にふらっと立ち寄り。
すると、喜多方のひぐらし農園の浅見さんの本が!思わず購入!
今の移住は、バブル時代の就職に似ている。
そんな表現にぐさっときた。
オプション・優遇措置・支援が充実しているところが、決して「自分にあった地域」なのだろうか。
供給過多。そんなことに私は不安をずっと思っていて、バブルを経験したわけじゃないけど、すごくしっくりきました。

本当の田舎暮らしを感じて頂ける本だと思うので、田舎暮らしをお考えの方はぜひ~!

http://www.commonsonline.co.jp/bokugahyakusyou.html
Posted by ほしくみこ
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[田舎暮らしの達人
会津の田舎を守り隊(たい) ボランティア募集!
お世話になっている会津地方振興局さんと話し合いを重ね、これからの移住交流モデルについて考えていった結果、やっぱりまずは交流・つながり・助け合いだよね、ということになった。実は震災前に限った話じゃなかったんだけど。けど、やっぱりこれだってお互いに思えているんじゃないかな。
特に福島の場合には、アコガレの田舎暮らしを希望する人の心には届かないかもしれない。でも、それでも良いのかもしれない。地域のことを、ナカの人も、ソトの人も、できることを一緒に考えて、それぞれできることを行動に移していく。
きっとそうすれば、「こんなはずじゃなかった」って田舎暮らしで失敗してしまう人も、それで傷つく地域も少なくなるんじゃないかな。

まずは小さな一歩。
これからの田舎と都会の関わり方、今年はいろいろ提案・情報発信していきます。

何かするっていっても、まずは地域の皆さんの腰があがること。
そこをないがしろにしない繋がり作りに努めます。

http://www.pref.fukushima.jp/aizu/shinko/yuki/yuki1-1.html
Posted by ほしくみこ
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[東日本大震災から
とある移住担当者との再会
行政というものは異動がツキモノ。2〜3年前に移住定住の支援から離れた方とお会いした。きっと喜多方市の移住交流を人気の地域にしていったのは、彼のおかげが大きかったと思う。私の移住交流支援への地域へのアドバイスは、地域の共感力を巻き起こす方法についても、その方の地域に向き合う姿勢に少なからず影響を受けている。
その方が、別な形で就農体験ツアーなども企画された。思い、行動力があって、周りを巻き込む力があれば、直接じゃなくてもいろんな形で交流は続くんだ。
嬉しいことにその方には、今年14年振りに次女が誕生したそうで、昨日やりとりしたメールに嬉しいことが書いてあった。


何かと将来不安な福島県ですが、この子の20年後は、きっと笑顔いっぱいの福島になっていると信じています。


なんか、ぐっときた。

福島だけじゃなくて、いろんな地域で、これからの未来を担う子どもたちが、若者たちが、笑顔いっぱいの地域になれるよう、考えてアクションを起こしてほしいし、私自身起こしていかなきゃなと思う。
というか、政治家の人にも景気対策も重要だけど、幸せというかライフスタイルの価値転換等も含めて、本当に笑顔いっぱいの未来をつくるために必要なことを考えて欲しいなーと思う。

その未来は、現代的で利便性の高い都市機能を持ったものじゃなくていい。
今まで生きてきた皆さん(何百年という歴史あるものも含めて)の知恵や手技等が息づく、懐かしい、温かい、そんな未来であってほしい。
地域のみなさんが、大好きな、誇れる地域を、繋いでいきたいな。

持続可能な地域にしていくために必要なことは、
もしかしたらすでに地域の中に、歴史の中にあるのかもしれない。

昨日も浪江町ご出身の方と身知らずで保科正之について語り合った。若いのにここまで話についてこれるとは・・・と驚かれた(笑)。だって、大好きですもの。
日本初の年金制度、旅人の医療体制の整備、給料を上げると言っても少なくていい、それよりも人を切らないようにといえる家臣とその人々に慕われるリーダー。

いろんなヒントは地域に散らばっている。

さて、休みに入るとはいえ、やることはいっぱい。
歴史書読むのも大好きなので、ちょっと溜めてきた本も読もう。
新年から具体的にセンターも多分色々変わっていく、というか変えていく。
もちろん、移住交流情報の発信基地、基盤をしっかり作る部分と、「地方で暮らす」「地方と繋がる」そんなことが特別なことじゃなくて「当たり前」になるように、立てたアクションプランをより具体的にして、年明けから頑張ります〜。


http://www.furusatokaiki.net/event/8655/
Posted by ほしくみこ
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[受入地域の施策と課題
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