全国の田舎大好き女子です。 普段は、田舎暮らしアドバイザーとかしていたりしていなかったり。
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Posted by ほしくみこ
 
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新地町ボランティアレポート
6月11日は連れと連れの友達二人とクミコ母と私の5人で、福島県新地町にボランティア&お仕事(取材)に行ってきました。
何ともデコボコな5人です(笑)

元々のきっかけは、旦那さんの友達であり、私の前職の同期のよっしーが、「何かしたいんやけど」と声を掛けてくれたことにあります。

東北なんてほとんどゆかりがないのに、何かしたいと思ってくれたようで、ボランティアに入りたいという相談を受けました。その時、このブログで発信していた情報がちょっとでも誰かの意識の片隅に残ってくれていることが嬉しかったのです。

仕事をしているので、土日で行ける範囲、そして人手が足りていないであろうところ、ということで、行く場所を福島県新地町に決定。

新地町の場所
<MAP>
新地町

福島県と宮城県の海沿いの境界地です。


深夜バスで池袋~福島市へ。到着は朝5時。
久しぶりに深夜バス利用。4000円(新幹線の半額)は魅力ですが、やっぱり身体は痛いです。

福島市で、会津にいるうちの母ミユキさんと合流。
本当はボランティアバスを利用しようと思ったのですが、すでに満員になっていたので、独自に入る方法を考えた結果、母に協力をお願いすると、二つ返事でOKを貰いました。

100キロ以上離れているので、朝4時に会津を出て貰い、5時30分に合流。ちょっと仮眠を取ってもらって、6時半に福島市を出発。

R115を東に進みます。
このルートは昔よく利用したルートです。
ゴールデンウィークに、家族で出かけた潮干狩りの思い出。
この3週間くらい前に、母はイトコ家族と相馬市に被害の様子を見に行ったとのこと。
昔よく潮干狩りに行っていた松川浦がどうなっているのか知りたくて、少し遠回りにはなるものの、松川浦と相馬港を回ってもらいました。

4月に行った南相馬では、少ししか見る時間がなかったのですが、今回は時間も融通もきいたので、ぐるっと回ってもらいました。

沿岸部には、R6というのが走っています。
正直、このR6に差し掛かるまで、本当に津波の被害があったのかと思うほど、瓦が落ちる程度の被害がほとんどでした。



R6が堤防の役割を果たしたのだと、4月に南相馬に行った時も思ったのですが、本当にその通り。R6と海沿いを結ぶ交差点で、船が目に入る。海までは1キロ近くあるところなんじゃにだろうか。

船が道路にささっている。二階しか残っていない家もあった。
海に近づけば、土台しか残っていないところ、大きな何かのタンクが転がっている。そして、それが一面に広がっている。
戦争中かと思ってしまうほどの瓦礫の山。自衛隊の車が走る車のほとんど。


潮干狩りをした後によく入っていた温泉も、高校生の時に新聞の県大会で使用した旅館も、見る影もない。
ただ、言葉を失うことしかできない。
目の前にあるのに、信じることができない。

子供の三輪車やお鍋とか生活用品が、残された瓦礫の中からところどころでカラフルにその存在を主張する。
ここで当たり前のように日常を送っていた人がいることを断片的に感じて、ようやく胸が締め付けられた。


そして思った。

南相馬とは違う―。


あそこは同じ状況があっても、屋内退避エリアになっているから、ボランティアや人が作業している姿を見ることができなかった。目の前にあるそれに手を伸ばせないやるせなさと、昨月お会いした南相馬市の桜井市長の言葉が、表情が甦る。


R6沿いのコンビニなどは営業を再開していた。
相馬港からほど近いところに、新地町はある。
新地町に入ると、やはりR6からはあまり被災状況が分からない。R6から100Mくらい入ったところに、新地町役場と新地町ボランティアセンターはある。

ここもそこまでの被害はない。
けど、多分100M先くらいから一気に景色が変わる。ほとんど何もない。駅も流され、線路は緊急車両等が入るための道路に変わっている。
多くの家が土台を残して、根こそぎ持って行かれている。

IMG_5105.jpg

IMG_5106.jpg



新地町のボランティアセンターに集まった個人ボランティアは、6月11日は20名強。土日なのに。大体は、40名くらいは集まるらしいけれど、天気予報が怪しかった(=小雨)から、当初の予定の半分程度しか集まっていない。

ボランティアに来た人の中には、新地町の人もいた。普段は仕事をしているが、奥さんに今日は人が少ないだろうからと言われて参加したそうだ。当初4つ依頼があったのだが、1つの依頼は人員数的に無理だとの判断で、3つの現場に割り振られる。
それも、当初15~20人くらいでやる予定の現場を、7、8人で行わなくてはならなかった。

私たちが行った現場は沿岸部の集落だった。

一番酷い地域を通り抜け、少し高台の現場。集落と海の間には、とても高さのある防砂林があった。けれど、そこにあった4軒ほどの家は1軒以外、もう住めないほどの状況。
唯一奇跡的に家が無事だった区長さんから話を聞けば、津波はこの高さを乗り越えて、後ろから家を押し流したそうだ。

IMG_5090.jpg

IMG_5086.jpg


家の片づけを頼まれたのはこの区長さんの隣の家。
自衛隊などによって、壁とか屋根とかの大きいものはすでに片付けられていたが、どこから手をつけていいのか分からない。
そして、どこが終わりなのかも分からない。

私たち5人の他に、群馬から来た人、新地町の人の7人で作業を始める。瓦とかガラスとか流木とか、大きなものから片付けて、細かい作業に入っていく。

レンタルDVDのケースも、お惣菜のパックも、大事そうに仕舞われた釣りの用品も、車のキーも、通帳も、いろいろ見つかった。
3月11日の2時46分までは、普通に日常を送っていただろう手掛かり。

後から、埼玉から来たボランティア2人と、茨城から来たボランティア1人が加わって、10人で作業した。当初の予定の半分の人数だけど、意外にも2時半くらいに粗方片付いた。

午前中は小雨交じりだったけれど、午後はとんでもなく暑くてみんな汗をかきながら作業する。

この場所から、隣の相馬市の火力発電所がよく見える。
タンカーから石炭を運ぶための施設も津波の影響を受けている。
津波で道路も流され、火力発電所に向かうための道路は寸断されている。

IMG_5081.jpg

IMG_5082.jpg



新地町の放射能量は、0.25
海から風が吹くこともあり、放射能量は低いのだと教えてっ貰った。

作業が終わって、ボランティアセンターに戻る。
そこで、センター長の小泉さんとお話をする。

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福島=原発被害しかない
という図式が誰もが思っていないだろうか、と。
放射能、風評被害という問題も、もちろん福島県は抱えている。しかし、津波の被害もあるのだ。それが、ボランティアや津波による復旧支援について、行政の動きも遅い。
下水処理施設は再開したものの、稼働はしていない。
下水道管や側溝には泥やヘドロがつまり、大雨が降れば、沿岸部は再び水に沈む。
本来は行政がやる範囲なのだろうけれど、混乱しているからそれを待っている間に時は過ぎてしまう。今、ボランティアセンターができることとして、そうしたことも代わりにやっていかないと、本当に水没の危機があるのだ。
だから、新地町ではまだ多くのボランティアの手を要する。(※お隣の相馬市は6月中旬にボラセン終了) 梅雨の時期、側溝や下水道が復旧しなければ、地域は再度水没するかもしれない。
こうした面で、ボランティアの人々の手が必要となる。
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ボランティアで貰った「どこにいてもシンチを想う」ステッカーとバッジ。
すごく可愛いなあと思う。

新地


新地町の魚やさんは1軒だけ再開したそうだ。
毎日、新潟や築地に仕入れに行っていると聞く。
なんだかなあ・・・
もっとうまい方法がないかと、酢飯屋さんにお邪魔したときにお話したら、何かできそうだった。
上手く現地に繋ぎたいな、と思います。


よっし、また時間を見つけてボランティア行くぞ!!
そして、新地レポートを仕事で書かねば!!

やっぱりネックは車だなあ。。。


次はりょうぜんレポートです。
Posted by ほしくみこ
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[東日本大震災から
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